テネリファの『ガセタ・デ・アルテ』誌からの質問
- 1. 現代芸術において、激しく対立する次の二つの傾向の間には何らかの結びつきが存在するだろうか?二つの傾向とはつまり、事物から逃避して抽象という純粋領域へ向う傾向と、私たちの眼に見え感じられる世界を表象するものとしての事物へ回帰するという傾向である。
- 2. 私たちの時代の複雑な政治的-社会的あるいは倫理的-経済的問題を前にして、芸術家はどのような立場に立つのか?
- 3. 人はそうした問題の影響から逃れられるのか?
- 4. [逆に] 芸術家がそうした問題に及ぼす影響や関与は自然なものか?
- 5. 宣伝芸術というものは存在するのか?
- 6. 芸術は何かへ奉仕するのか、それとも、しないのか?
- 7. 現代芸術は危機に瀕しているのか?
- 8. 私たちが見知っている世界とは別の、直接的な世界は――予測されているだけの場合もあれば、私たちの内的世界から絶えざる創造を通して現れる場合もあるが――私たちを新しい人間解釈へと導くだろうか、新しい文化退廃の時代へ導くだろうか、それとも新しい文化隆盛の時代へ導くだろうか?
テネリファの『ガセタ・デ・アルテ』誌からの質問に対する回答
1. 《対象からの逃避》が意味するのは、自然一般からの逃避ということではない。真の芸術は全て、自然法則に従っている。《自然》に依拠する必要などない。なぜなら括弧つきの《自然》など、自然一般のごく一部分に過ぎないのだから。もし [自然]全体と直接関係を持つことができれば、《自然》の仲介などなくてもかまわない。
いわゆる抽象芸術は自然法則に従う。ある作品の中にこの不可欠な結びつきが認められなければ、その作品は芸術作品ではないということになる。このことを認識するために20年も必要とは思われないのだが、 [現実には] 私が《形態の問題は原則的に存在しない》(「形態の問題」『青騎士』1912年、ミュンヘン、を参照)と断言してから20年が経過している。
2. 《複雑な政治的-社会的あるいは倫理的-経済的問題を前にした》芸術家は、そうした問題を超越した立場をとる。芸術活動には、全人格が要求され、また芸術世界への完全な没入が要求される。
3. しかし、芸術家は自らの生きる時代の当然の構成員である。もしその時代の精神が、芸術家を自らに奉仕させるほどの力を有していれば、芸術家はそれと気付かないうちにに奉仕しているのだ。芸術家は《明日からは、政治的絵画、社会的絵画、マルクス主義的絵画、あるいはファシズム的絵画を描こう》と言うことは十分可能である。しかし、表現力を持つようにそうした絵画を描くことは不可能である。《第一次世界大戦》が始まって、私がモスクワへ戻ったとき、同僚の一人が私に《さて、我々も国家的意義において絵を描くとしようか?》と言ったことがある。私の方は、《それで戦争の後は?》と訊ねたのだった。ほとんど全ての国で、既に《国民歌》が歌われていたが、私は自分が歌手ではないことを嬉しく思った。今でもその気持ちは変わらない。以上が、質問4に対する回答にもなっている。
5. まさにこの国民歌こそ一つの宣伝芸術である。しかし宣伝芸術には別のものもある。――世界で一番美味しいチョコレートのための、ブラジャーのための、タバコの《バルト》のための宣伝芸術が。
6. 芸術は疑いなく、何かに貢献しているのだが、しかしそれは《実生活》にではない。精神に対する貢献である――とりわけ、精神が車の第5の車輪程度でしかない今日においては。だがいつか、人間がこの第5の車輪を必要とする日が来るであろう。
7. 恐るべき経済的危機のほかに、今日には、さらに恐るべき危機が存在している――精神の危機である。この危機が生じた原因は、視野の狭い物質主義的な考えが波及したことである。この波及の最も危険な結果の一つは、精神の諸徴候に対する関心が高まってきたことである。また、芸術に対する関心が高まってきたことも、そうである。このようなわけで、芸術が《生活》から追い出されてしまうという由々しき事態が起こったのだ。芸術に《実生活に貢献すること》を強要して芸術を救おうとする試みも、同様の理由に基づくものである。ここにこそ、私たちの憂鬱な時代における芸術の最大の危機があると思われる。だが、芸術はこれからも勝者であり続けるだろう。
8. 文明国の国民の《生活》を少し、あるいは詳細に観察してみれば、今日では真の文化が存在しないことを確認できる。全ての人間に食料と満足できる生活環境を保証することが必要であり、また課題でもあることは自明である。しかし、この面での満足を保証されているにせよ、別の一面において精神的文化を奪われている人間は、ただの消化機械にすぎない。だが、この愕然とする酷い状況の水面下に、ある精神的な動きが存在している。その動きは、まだ非常に小さく目に見えないが、この動向こそ危機と堕落を終結させることになるだろう。この《復活》を準備する力のうちの一つが、自由な芸術なのである。
著:W.カンディンスキー 1942
訳:ミック
作成日:2003/02/25
最終更新日:2017/06/29
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