ホームハンス・ライヘンバッハ

 なぜ哲学の教師たる皆さんに向かって、いまさら合理主義と経験主義についてお話しようとするのか、疑問に思われることでしょう。私たちは皆、日々の講義で生徒たちに、合理主義とはなんぞや、経験主義とはなんぞや、ということを説明しています。それなのに、なぜ私はこんな古い問題を取り上げようというのでしょう?

 この疑問に対しては、まさに私たちが哲学の教師をしているという事実こそが、哲学の歴史と同じぐらい古い歴史を持つこのテーマを論じたくなる理由なのだ、と答えましょう。熱意を持っているか否かに関わらず、哲学史を講義したことのある人なら誰でも、学校から家路につく際に味わう不満感をよく知っているでしょう。哲学史とはすなわち、知識の世界における自らの位置を見定めようとする人間の努力の物語であり、到達可能な具体的証拠からかけ離れた抽象的思考と知的構築力の物語であり、才気あふれるドライな書き手たちの物語であり、誰ひとり理解可能な言葉に翻訳できたことのない曖昧な定式と深遠な叡智の物語であり、数多くの才人と天才たちの物語です。そして哲学史には、一般的に認められている成果というものがほとんど存在しません ―― 常に新しい試みが試されているものの、長続きした成功は一つもない ―― だったら一体何の役に立っているのでしょう? もし哲学史に何の成果もなく、これといった真理もないのだとしたら、なぜ私たちはそんなものを教えねばならないのでしょう?

 一つの解釈によれば、体系が異なっても、それは決定的な意見の相違にはならないのだ、という見解があります。この解釈の言うところでは、全ての哲学体系は同じものを意味することになります。全ての哲学体系は、一つの叡智を異なる言語で明らかにしているのであり、ただバージョンが違うだけなのだ、と。私は、こういう相対主義的な歴史解釈が哲学に大きな貢献をするとは思いません。対立する複数の哲学書の中に互いをうまく調和させられるような見解を読み込むことで相違を減殺しても、哲学研究を前進させることはありません。体系同士の矛盾は明々白々なのだから、諸体系の歴史的研究から何かを得ようと思ったら、誤りをごまかそうとすることよりも、誤りをずばり説明することによってこそ、より多くの成果が得られるからです。20世紀の哲学者は、先人たちの構築物から、客観的批判をするに十分な知的距離を保つ必要がありますし、哲学のどこが間違っているのかを明言する勇気を持たねばなりません ―― なぜなら、哲学を教える者全員が同意して生徒たちに教えられるような共通原則を、これまでの哲学は発展させられなかったからです。

 私たちのうち、科学の一部門を教えた経験のある人なら、共通の下地を教えることの意味を知っているでしょう。科学は普遍的認識によって一般的知識体系を発展させてきたので、これを教える者は、自分は今から生徒たちを確固たる真理の領域に導いてやるんだという誇らしい気持ちをもって教えるのです。私たち哲学者は、確固たる真理を教えることを断念せねばならないのでしょうか? なぜ哲学者は、自分が教えることの正当性を保証するために、「哲学者 X の見解によれば」という前振りをつけて、自らの客観性を哲学者 X の見解についての言明に制限することを必要とするのでしょう? しかも場合によっては、そういう言明ですら普遍的な賛同は得られません。なぜなら、哲学体系について解釈すれば別の不同意の根拠を作ることになるからです。試みに、ある科学者が、異なる物理学者の視点についての報告という形式で電気力学を教え、電子を支配する法則が何であるのかを絶対に生徒に知らせない、という場面を想像してください。こんな考えは馬鹿げています。物理学者が自分の研究分野の歴史に触れることはもちろんありますが、その場合でも、個々の物理学者の見解は、個人を超越した妥当性をもって確立され、普遍的に受け入れられた共通の結果への寄与として現れるのです。なぜ哲学者は、一般的に受け入れられた哲学を諦めねばならないのでしょう?

 もし哲学史を批判的な眼で再検討するなら、意見の相違を制御する助けとなるでしょう。もし哲学者が極めて多くの相矛盾する体系を生み出してきたなら、そのうちの一つを除き全ては間違っているに違いありません。もしかしたら全部間違っている可能性だってあります。従って、哲学史には哲学者の犯した誤謬の歴史が含まれるはずです。哲学史研究は、誤謬の源泉を暴露することによって真理に寄与するでしょう。

 このプログラムを胸に、私は合理主義と経験主義の諸問題について再論したいと思います。この歴史的論争の研究によって、哲学的誤謬の根本的源泉の一つが明らかになるでしょうし、これは哲学学会の会合で取り上げるに値する研究だと考えています。

 経験主義と合理主義が哲学体系として初めて定式化されたのは、ギリシア哲学においてでした。経験主義の方はまだ初期の形式でしたが、ギリシア哲学の名を知らしめたのは合理主義の方でした。ソクラテス、プラトン、アリストテレスの名前によって象徴される古典時代は、哲学的合理主義を表すものとして見なさねばなりません。私が合理主義というとき、それは、感覚による観察よりも理性を優先させる、あるいは理性を、経験的観察から独立してそれを超えた知識の源泉とみなす哲学のことだと言えば、この記述は正当化されると思われます。

 合理主義者の源流となる人々がギリシア哲学の中に現れたのは、数学、特に幾何学における演繹的方法の成功だったと言って、まず間違いありません。演繹科学としての幾何学は、ギリシア人の発見です。エジプト人にとっては測量家と建築家の実用的な規則体系だったものが、ギリシア人の鋭い知性によって演繹科学へと変化したのです。当時、ギリシアで起きたに違いない、知識の概念が被った変化は想像しがたいものです。理性のみから導かれる知識の可能性というものが、初めて例証されたのです。このタイプの知識が経験的知識より勝っている点は、その精確さと信頼性です。

 また、この知識は明らかに空虚なものではありませんでした。数学者は、実際に測量することで検証できる幾何学的関係を予言することができるのだから、この知識は物理的現実を制御するものでした。哲学者にとっては、幾何学は物理的に記述される自然の証明として、実践的に役立ちました。ですから、カントが後に総合的ア・プリオリという名前を与える数学概念の基礎が作られていたのです。数学は、物理的現実の秘密へ通じる扉を開ける鍵を表すものとして発見されました。抽象の力に比べれば、観察が知識に対して行なった貢献などどうでもよいものに見えたのです。哲学的合理主義は、理性を経験的観察を制御するために使えるという発見から発展しました。その発見はすなわち、感覚が報告するものを論理体系の中に秩序づけることが可能であり、その体系を使えば未来の観察を予言できるということを意味したのです。

 プラトンのイデア論を理解しようとするなら、この歴史状況を頭に入れておくことが必要です。現代の論理学者の視点から見ると、イデア論は馬鹿馬鹿しく、信じがたいほど複雑で、知識の問題を解くには不適切だと思われます。でもプラトンにとっては、これが数学的知識の問題に対する解答に見えたのです。数学的法則の発見は、経験的観察と類比的に把握されました。つまり、経験的対象を経験の眼で見るのと同じ仕方で、私たちの心の眼はイデア的対象の性質を見るというわけです。そして、イデア的対象の法則は経験的対象の振る舞いを制御するのだから、イデア的対象はより高次の現実の形式を持っているに違いない、しかし、観察可能なものの性質の中にはそれが不完全にしか反映されていないのだ、プラトンはこう考えたのです。

 論理学者は、それは説明ではなく像言語(picture language)であると主張するでしょう。確かにその通りです。しかし、理性と現実が図らずも一致するという謎に初めて直面した哲学に、何が期待しうるでしょうか? 後世の哲学は、既成の調和について語るか、必然的前提を経験に帰するような超越論的論理学を構築することによって、この謎に答えようとしました。しかし、そのような哲学は、問題を分かりやすく言い直すことはできるかもしれませんが、問題に対する解決であるとは思えません。とりわけ、カントの哲学など、経験主義と合理主義をより高次の総合という形式に統合することによって、この問題を解決したのだいう主張もありますが、批判的な眼を持つ者にとっては、経験主義の要素は皆無の、極めて純粋な形の合理主義に見えます。合理主義者は、感覚による観察が知識に有用な貢献をなすことを否定したことは一度もありませんし、カントがそうした貢献を認めたからといって彼が経験主義者になるわけではありません。合理主義者を経験主義者から分かつのは、この世には物理的現実を統べる根本的真理が存在し、それを発見できるのは理性だけであるという原則を支持している点です。この原則こそ、カント哲学の本質的内容です。カントの素晴らしい長所は、総合的ア・プリオリの理論によって、先人たちよりも明確に問題を述べたことにあります。カントの没後半世紀の間の数学的科学の発展を研究した者ならば、彼が問題を解決したなどとは認めないでしょう。

 私は、合理主義の諸問題は、数学的知識の本性についての研究から導かれると述べました。そしてその数は、同じ源泉から生じる知識の概念を拡張することによって即座に倍増する、ということも付け加えねばなりません。この拡張を見るためには、もう一度プラトンに戻る必要があります。プラトンにとって、全ての知識は究極的には数学的知識でした。まだ数学的形式の装いをしていない物理世界についての知識を、プラトンは本物の知識とは見なしません。それは臆見(opinion)であり、現実的な目的には役立つが、それが真理の名に値するためには、数学へ変換されねばなりません[1]。この拡張こそが、合理主義を経験科学にとって非常に危険な存在にした張本人です。合理主義からは、経験的観察を軽視し、真理を発見するために感覚を使うことを無視する姿勢が生まれます。この態度は、中世哲学のある時期にそのカリカチュアを見ることができます。学識ある人々が、物理現象を観察するよりはアリストテレスの書物を研究することで物理学の問題に答えようとしたのです。「経験医学派」のような呼称に生き残っているように、「経験的」という語に軽蔑的な響きがまとわりついているのは、知識の本性を合理主義が捻じ曲げたことの証拠です。様々な哲学体系が入れ替わり支配力を持つ時代が2千年ほど続いた後、この合理主義の拡張は、物理学の基礎にまで総合的ア・プリオリな性格を拡張するというカントの理論において、その古典的な定式化が復活しました。なにしろ当時は、ニュートンの理論によって、数学的物理学が数式の中に自然の究極法則を発見したかのように思われた時代です。「科学の形而上学的基礎」という語句は、合理主義的な知識概念が優勢だったことを反映しています。

 これだけではなく、数学的知識には第二の拡張もありました。数学的知識の概念を物理学に拡張した最初の拡張よりも、こちらの方が哲学史に大きな災いをもたらしました。私が言わんとしているのは、倫理の哲学を数学とのアナロジーによって行なおうとする努力のことです。プラトンのイデア論は、まさにこれを目的として考えられたものでした。徳とは知識であるというソクラテスの説は、物理的・数学的対象が実在するのと同じように善行のイデアが実在するという哲学によってその実質を与えられました。善なるものは真なるものと同様に知覚され、真理と同様に、感覚による知覚ではなくイデアを見るという行為によって知覚されるというのです。倫理・認識の並行論はソクラテスとプラトンに端を発してからずっと、合理主義の不可欠の一部でありつづけています。倫理学を不動の基礎の上に構築したいという願望を最も強力に支持するのは、理性をその立法者とするような知識の概念だと信じられていました。道徳律を与えるものは認識律を与えるものと同一とみなされ、[カントにおいて] 心のうちなる道徳律が星々の煌く天上と同種の認識を要求するようになりました。こうして、倫理学を幾何学的方法によって構築することが合理主義のプログラムになったのです[2]

   こうした展開も、それが哲学の一派の概念だけに関係するものならば、その重要性も限られたものでしょう。そうした学派の勢力が遠い過去のものに過ぎなければ、後世の諸学派が同じ過ちを犯さずにすむ可能性もあったでしょう。ですが、合理主義が危険なのは、その根本的誤謬が自学派内だけにとどまらなかったという事実によるのです。原理上は敵対陣営の経験主義までもが同種の誤謬に感染してしまい、そのおかげで経験主義哲学は、ついに失敗の憂き目を見たのです。というのも、経験主義もまた、合理主義を科学と矛盾させることになった間違いを克服できなかったからです ―― すなわちそれが、知識を数学的知識と同一視するという間違いです。

 確かに、経験主義哲学では、この間違いが明白に表だっているわけではありません。合理主義者は感覚による観察が知識になした貢献を無視しているという論法は、経験主義者お得意の攻撃方法でした。しかし、自らの哲学を発展させるにあたり、経験主義者は無意識のうちに、本物の知識は数学的知識と同じぐらい信頼できなければならないという合理主義の基本テーゼを受け入れてしまったのです。それによって、経験的知識が数学的知識に劣らず確実であることを証明するという、絶望的な立場に追い込まれたのです。合理主義の経験主義に対するこの関わりを歴史的に見ると、後者は常に守勢に回り、経験主義哲学が合理主義哲学と同じぐらい絶対的真理を確立することに有用であると証明しなければならなかったという事実からそのことが分かります。この勝ち目のない防衛戦の結果うまれたのが、いわゆる素朴経験主義、別名、唯物論です。他方で、自己欺瞞に陥るには正直すぎた経験主義者たちは、懐疑論へ行き着きました。経験主義的懐疑論者は、合理主義の侵略から自らを解放した哲学者ですが、しかしまだその挑戦を受けていると感じていました。彼らは、合理主義が設定した目標、すなわち絶対確実な知識への到達という目標を達成できないがゆえに、経験主義は失敗であると考えます。自らの批判に無根拠な前提を持ち込むことによって、懐疑論者は、かつて合理主義者を論理の罠にかけた誤謬の餌食になります。そう、まさにあの、数学的知識を全ての知識を審査するべき基準として扱うという間違いです。このことは、経験的知識に対応する数学的知識は存在しないことを証明することで、真理が存在しないことを証明したと確信していた古代の懐疑論者にも当てはまります。さらに、最も傑出した経験主義的懐疑論者デイヴィッド・ヒュームもまた、同じ間違いを犯しています。彼の哲学は、経験主義を初めて一貫的に構築し、同時に破壊しました。

 現代的な経験主義の古典時代には、合理主義の基本原理に感染していることのあらゆる徴候が見られます。帰納の預言者フランシス・ベーコンは、彼の主著のタイトルから明白なように、帰納的方法によってアリストテレスの演繹論理学に並行しようと意図していました。彼の経験主義を動かしているのは、帰納も数学的・論理学的知識と比肩しうる確実な知識を構築できるという素朴な確信です。ジョン・ロックは、合理主義者の言う必然的で空虚でない真理を、これらの概念の経験的起源に結びつけようとする絶望的な試みに挑み、政治的民主主義の基礎は理性から演繹可能であるとする倫理学を説きました。ヒュームを加えたこの偉大な三人組によって、イギリス経験主義はその絶頂期を迎えます。ヒュームは、経験主義を最終的に定式化しました。その定式化とは、全てのア・プリオリな知識は分析的であり、全ての総合的知識は感覚による知覚から導かれるというものです。これは言い換えるなら、感覚による知覚のみが非分析的心理の基準だということです。ところが、まさにこの形での経験主義原理の定式化が、経験主義的方法の失敗を予言することになりました。というのも、この見解に従えば、観察が私たちに教えるのは過去についてのみですから、未来についての知識は得られません。予言的知識は推論的方法によってのみ構築可能ということになります。しかし、過去から未来の観察を導く含意は総合的なものですから、演繹的推論は未来についての言明を導くためには使えません。すると、予言のために残された唯一の道具は、帰納的推論ということになります。ところが、帰納的推論を正当化することは、演繹的論理学によっても経験への参照に訴えても不可能なのだから、これを受け入れる根拠がありません。こうして、経験的推論も正当化できないため、経験的方法は知識を構築できないという結論に行き着きます。

 私はこれまで幾度となく、ヒュームの懐疑論の帰結を軽視している哲学史の教科書を見たことがあります。ヒュームの批判は過大評価されているとか、帰納が正当化できなくて困る哲学者なんてほとんどいないとか、帰納は哲学者が関心を持たない科学的方法にとって些細な困難をもたらすだけだとかいった見解を主張する文章を読んだこともあります。こういうことを書く哲学者は、哲学史を理解していません。こういう輩は、科学的知識を説明しようとする合理主義者の試みは現代科学と相容れないし、ヒュームの批判を克服できなければ、経験主義も同様に科学の理論を与えることはできないということを認識していないのです。ヒュームの批判は、知識の可能性に対してこれまで提起された反論の中で、最も重大なものなのです。彼の反論に答えられないのなら、哲学史とは誤謬の歴史のことです。真理の探究は無知を承認することをもって幕を閉じるでしょう。私の知っている全てのことは、私は何も知らないということである ―― このソクラテスのアフォリズムは、彼よりもむしろ『人間知性論』に結晶した懐疑論を特徴づけるものです。

 これ以外に、信念を利用することでヒュームの懐疑から逃れることを期待する哲学者たちがいます。批判なしに私たちが保持している信念はたくさんある。なぜ帰納において信念を受け入れてはならないのか? 私たちは信念によって多くの成功を収めてきたのに、なぜそれを捨てねばならない? これが彼らの言い分です。この議論を斥けるには、ヒュームが優しく微笑むだけで十分に違いありませんが、現代の帰納についての本の中にもこの議論は見かけます。信念は今の流行です。動物的信念という名前で呼ぶ者もいれば、合理的信念という名前を好むものもいます[3]。彼らが身を守るトリックというのは、信念がなければ私たちは生きられないだろうし、経験主義者だって何かを信じているのだ、という議論です。信念は快適な安楽椅子なのだから、なぜそこで安眠を楽しまないのか、というわけです。

 私は、論理を真面目に考える人なら誰しも、信念への逃避を弁護することはできないと考えます。日常生活が信念に満ち満ちているのは当然のこと。哲学者の仕事は、そういう習慣を論理の光に照らして調べることにあるのです。もし、もっとも基礎的な信念が正当化できないという結論に達したなら、論理的探究をやめるのではなく、哲学を持っているという主張をやめるべきです。経験主義の形而上学について語るのは、現代科学を目の当たりにしてなお合理主義の空論を延命させるための口実を探す人々がきまって使うちんけな弁護法です。経験主義者の議論は、私たちは未来の観察を予言する言明の真理性を証明する手段を持たないというものです。この議論を信念に基づく形而上学と呼ぶのは馬鹿げています。経験主義が板ばさみの窮地に陥ったからといって、形而上学者が新しい信念の哲学を説いていいことにはなりません。経験主義者が失敗するなら、それは哲学が失敗するということ。ヒューム以前の時代の信念とやらへ逆戻りすることなどありません。

 ヒュームの問題の解決は、経験主義の枠内で探さねばなりません。そうでなければ、たとえ見つかっても解決にはならないでしょう。そのためには、ヒュームの議論が何を証明したのかを、より厳密に定式化する必要があります。それは、知識が絶対的に信頼できる知識を意味するべきならば、未来についての知識は存在しないことの証明です。ヒュームの議論は、知識を合理主義者が理解する意味で解釈した場合にのみ決定的です。つまり、ヒュームが証明したのは、知識についての合理主義者の目的は経験主義者の方法では達成できない、ということなのです。ヒュームの懐疑へ人を導いていたのは、知識を数学的知識として解釈するという、この合理主義のプログラムへの無意識の執着だったのです。懐疑論者になる経験主義者は、合理主義の信条を十分に捨て去ることができなかったのです。

 経験主義を整合させる唯一の道は、経験的知識を他に頼ることなく解釈し、数学が全ての知識のプロトタイプであるという偏見を捨てた人間にのみ開かれています。この反乱への道は長いものでした。それは、数学的科学自身の助けなしには、決して見出されなかったものでしょう。実際、この反乱の物語は、19世紀と20世紀の数学と数学的物理学の物語でもあります。ヒュームの批判に対して現代の私たちが与える解答を語る前に、この物語の傑出した数章について概略をお話しておきたいと思います。

 総合的ア・プリオリの解体は、数学内での発展とともに始まりました。カントが死んで20年後、ボヤイとロバチェフスキーは非ユークリッド幾何学を発見しました。彼らの発見の重要性は、自身もまた独自に同様の幾何学的結論へ到達していたガウスによって、すぐに認められます。ガウスは、もし数学者が二つ以上の幾何学体系を知っている場合、その体系のどれが物理的現実に適用するかは経験的問題であると考えていました。

 数学を王位から追い落とした論理学の発展は、驚くほど単純です。一つだけしか幾何学がない限り、数学者が物理空間の謎を解く鍵を持っているように見えましたし、理性が物理的現実の法の制定者であるように思われていました。しかし、幾何学に複数の可能な選択肢ができると、そのどれが物理空間にフィットするのか、数学者が教えることはできません。従って、そのうちのどの一つが物理宇宙を記述する幾何学であるかの選択は、物理学者に委ねられることになります。この選択の過程が、同等の定義のうちから特定の定義を決定する作業を含むために、多少複雑なものになることは確かです。しかし、それによって物理空間の幾何学を決定する仮定がより非経験的になるわけではありません。全ての物理的仮説と同様に、数学も可能性の集合しか与えません。そこから現実に一致するものを選び出すのは観察の仕事です。総合的真理の基準は、理性ではなく観察です ―― 経験主義の原理は、数学の物理的現実への適用を含むのです。非ユークリッド幾何学の発見によって始まった発展は、ラッセルによる算術の分析によって最終段階へ到達します。それによって、数学的真理は分析的であり、数学は物理的現実を記述しないことが明らかになりました。

 分析的真理は、哲学者に何の問題ももたらしません。理性が分析的言明を作ることができるのは、分析的言明が未来の経験を予言せず、観察可能なものの領域を制限しないから可能なことです。言語のトートロジーは言語を構成している規則の鏡像に過ぎません。対象言語においてトートロジーが語るのは、命題の構造によって表現されることであり、それゆえメタ言語的規則の帰結です。例えば排中律は、その言語が2値的な特徴を持つことを規定する [メタ] 規則と同値な対象言語に過ぎません。分析的ア・プリオリに合理主義は不要ですし、最も批判的な経験主義とも共存可能です。

 現代における数学の分析は、数学的真理を分析的関係に還元することで、合理主義がよって立つ基礎を破壊しました。これはどんな哲学者も無視できない単純な事実です。数学を物理科学が近づくよう努力すべき理想とみなすことは、数学の本性に対する誤解です。数学をモデルとして作られた物理学は空虚であり、私たちに物理世界についての情報を与えることはできないでしょう。全ての総合的知識は観察から得られます。経験主義者は、最後には勝ちます。なぜなら、数学者自身が総合的真理を知っているという主張を放棄したのですから。いまだに知識を理性から引き出そうと試みている20世紀の哲学者は、数学者からの有力な支持を失いました。いまや彼らは、永久機関の探求者にも似ています。「不可能」 ―― それが、2千年間にわたる合理主義的な知識の解釈をめぐる闘争に、現代科学が突きつけた答えなのです。

 数学の現代的分析の破壊効果は、倫理学の分野にまで及んでいます。倫理学の原理を数学の原理のように理性から導こうという計画は、数学が合理的で総合的な真理と信じられていた限りでは、もっともらしいものに見えました。ですが、もし理性から生まれる全ての知識が分析的で、理性がそれら一つ一つは整合的だが、互いに矛盾しあう諸体系から一つを選べないとしたら、倫理・認識の並行論は倫理学に悪影響を及ぼします。倫理学を幾何学的方法によって構築しようとした論者は、その幾何学的方法が非スピノザ的倫理学をも同様に正当化すると聞かされたら、何と答えるつもりでしょう? もっとも、私は、スピノザが20世紀の数学にどういう反応を示すか、予言する冒険を犯すつもりはありません。それよりも、彼が答えたはずのことを語りましょう。彼は、もし道徳原理が認識的性格を持つならば、それらが空虚であることを認めたはずです。なぜなら、それらは理性のみから導かれる知識になるからです。

 現代論理学が倫理学の問題に与える答えは、幾何学の問題に与える答えに似ています。つまり、論理的に証明できるのは公理と定理の間の含意だけであり、公理自身は理性によって証明することはできない、という答えです。倫理学の基本原理の説明を哲学者に求めることは、物理空間の公理の説明を求めることと同様、期待できないことなのです。それでも、物理空間の公理は最低限、認識的性格を持っているので、物理学者によって経験による検証が可能です。一方、倫理学の基本原理は非認識的であるため、私がここでお話しているに、異なる扱いが必要とされます。

 まず最初に、経験的知識の分析についてより詳しく見る必要があります。数学を分析的関係に還元することは、否定的な結果をもたらします。経験的知識は、経験主義的な意味基準を満たすと同時にヒュームの批判を克服できるような総合的知識の概念によって補完する必要があります。

 この問題に答えるには、良く知られているように、確率論へ踏み込むことになります。それゆえ、経験主義的な哲学者は、ヒューム自身が確率の研究をしていた時代から現代にいたるまで、繰り返し経験的知識を説明できる確率論の構築に挑んできました。一般的に、全ての確率論は経験主義的原則にのっとって構築されたと信じられています。しかし、現代の確率についての議論を調べれば、これが正しくないことが分かります。確率の分析は、知識の合理主義的解釈の遺物と混同されているのです。合理主義の病原菌は、あまりに深く哲学的思考を冒しているため、現代の経験主義的な思索家でさえ感染してしまっているのです。合理主義は、確率論を純粋理性から構築しようとする論理学者の試みにおいて復活を遂げています。彼らの言う確率論とは、確率の度合いを命題の論理的構造から、演繹論理学の定理のごとく導こうとする帰納論理学です[4]。こうした理論は、時にいわゆる無差別の原則(principle of indeifference)を援用して、またあるときには、いわゆる確証度を決定する方法を援用して作られます[5]。それらに共通の特徴は、その擁護者たちが、観察材料をもとに未来の特定の観察がどの程度の確率で起こるかを決定できる分析規則を手にしていると信じている点です。

 こうした理論が合理主義にその根を持っていることは明らかです。論理が未来を予言できないとしても、せめて未来の多様な形式の可能性ぐらいは予言できるはずだ ―― 物理世界を理性によってコントロールしたいという合理主義者の願望は、この控えめな形となって現代の数学的哲学に忍び込みました。合理主義は、この新しい形式を得たことで、かつての有望な確実性という形式のときと同じぐらい活発で、危険な存在になりました。そう、有望な確率というのは、とても控え目で今風に見えるために、一層危険な形の合理主義なのです。

 こうした理論すべてを批判するのは簡単です。すべての数学体系と同様に、確率の計算は分析的だからです。つまり、合理主義にできるのは、せいぜいある確率からもう一つの確率を導くことであり、そのためには導出元の確率が与えられなければなりません。この計算を物理的現実に適用するためには、最初の確率をどう見つけるかを決める規則で補完する必要があります。その規則は数学的なものではありえません。なぜなら、それは分析的ではありえないからです。仮にその規則が分析的だったとしたら、それは未来について何も語らず、それゆえ行動の指針としては使えないでしょう。ところが、確率言明というのは、どう行動するかのアドバイスを与えることを目的にしているのですから、未来について何かを語るものでなくてはいけません。それゆえ確率言明は、過去に言及する観察材料から演繹論理によって導くことはできないのです。この批判は単純明快なのですが、現代には、この批判が合理主義者の欲求は必ずしも論理によって制御されるものではないことを証明するものだ、ということを受け入れたがらない論理学者がいます。

 経験主義的な確率論の基礎は、[確率を] 頻度として解釈することです。つまり、確率言明は出来事の頻度を予言するものだ、という解釈です。そういう言明は、未来について語るものなので、予言された出来事を調べることで検証可能です。出来事の連鎖がすべて起こる前にその確率を与える総合的規則は枚挙による帰納の規則です。頻度が言及するのは [事象の] クラスに対してですが、確率言明は単一事象にも適用できます。なぜなら、どんな人の人生も、多くの単一事象を含んでいるからです。確率の規則に従うことで、非常に多くの予言を的中させられるでしょう。

 確率の考察において最も重要な道具は、措定(posit)の概念です。私たちが確率言明を行ったとき、それだけでは予言された出来事が真である文を主張したことにはなりえません。その文はただ措定という観点から主張されたに過ぎないのです。言明を措定するということはすなわち、それが真理であるかどうかは知らないが、それを真な言明として取り扱うということです。措定を正当化するためには、言明が真であることを証明する必要はありません。ただ、その言明を真な言明として扱うことが何らかの意味で有益であることを証明すればよいのです。

 措定の概念は予言的知識を理解するための鍵です。いわゆる確証による推論を含む全ての帰納の形式は、枚挙による帰納に還元可能なことが証明できます。そして、現代物理学で使われている多くの数学は、個々の推論についての考察が単にそうした非常に単純な推論の積み重ねであることを示すことができます。経験科学にとっての分析的思考の重要性は、従って次のように説明できます。演繹操作の機能は、個々の単純な帰納を [帰納の] ネットワークに接続することであり、そのネットワークが、全体として、個々の措定よりも優れていることが証明可能な別の措定を表現します。従って、予言的知識は、それが枚挙による帰納を正当化できる場合には説明できるのです。ヒュームはそんな正当化は不可能だと考えましたが、しかし帰納的推論の結論を真理の主張とみなすのではなく、措定の意味での主張とみなすことによって、この正当化は可能なのです。そもそも予言が可能ならば、帰納的推論はその予言を発見するための道具であることが示せます。推論は、その適用可能性が予言的中の必要条件であることを表現するがゆえに、正当化されるのです。

 合理主義者の帰納論理学の概念が崩壊したのは、理性によって総合的原理を妥当化するという不可能な課題に直面したためです。経験主義者の帰納論理学の概念は、これとは本質的に異なります。枚挙による帰納の原理は、その総合的原理のみを構成するに過ぎず、決して自明な原理だとか、論理学が妥当化できる仮定だとはみなされません。論理学が証明できるのは、未来を予言するという目標に対してその原理がアドバイザとして有用であるということです。この帰納の正当化の証明は、分析的思考の観点から与えられます。経験主義者には総合的原理を使うことが許されています。なぜならば、彼はその原理が真だとか、真な結論や正しい確率や何らかの意味での的中を導くなどと主張するわけではなく、ただ控えめに、その原理を使うのが最善なのだということを主張するだけだからです。こうして真理の主張を放棄することによって、経験主義者は総合的原理を分析的論理学に組み込むことができるようになり、彼が自らの論理学に基づいて主張することは分析的真理のみであるという条件を満たすことができるようになるのです。経験主義者がこういう主張をできる理由は、彼が帰納的推論の結論を主張するのではなく、ただ措定するだけだからです。すなわち、彼が主張するのは、結論を措定することは彼の目的のための手段であるということです。理性は知識に対して分析的な貢献以外はできず、総合的な自明性など存在しないという経験主義の原理は、こうして貫徹されます。

 ヒュームの懐疑論において表明された経験主義の危機は、知識の概念を誤解したことによる産物でした。いまやそれは、正しい理解によって消え去ります。その正しい理解をもたらしてくれたのは、現代科学を土壌として成長した哲学でした。合理主義者は、一連の保持しえない思弁哲学の体系で世界を表現しただけでなく、また経験主義者を達成不可能な目標へ向かわせることによって、彼の知識概念の理解を毒しました。予言的知識の問題に解決を見つけるためには、真理として論証可能な言明の体系としての知識という概念が、科学の進歩によって克服されねばなりませんでした。哲学者が科学的方法について説明できるためには、確実性の探求が、最も厳密な自然科学、すなわち数学的物理学の内部において死滅せねばなりませんでした。

 さてここまで私は、哲学的誤謬の根源を調べることを意図して、合理主義と経験主義の間の論争の歴史について簡潔にお話してきました。そして私がたどり着いた結論は、伝統的哲学の誤謬は、数学的知識を全ての知識のプロトタイプであると誤解することから生じるというものでした。こういうと、皆さんは、次のような疑問を持たれるでしょう。「もしそれが根本的な間違いだとしたら、なぜそれを犯してしまったのだろう?」 換言すれば、もう一歩説明を踏み込んで、誤謬の根拠だけでなく、誤謬の根拠の根拠を指摘できるだろうか、ということです。実は、この問いにも答えることが可能です。哲学における知識の概念の誤解には、二つの原因が関係してきたのです。

 第一の原因は、科学の進歩の歴史によるものです。科学が整合的経験主義を可能にするほど進歩するには、数千年の時間を要しました。哲学者が数学的幾何学を物理的幾何学と同一視したことは、同時代の数学者も同じ見解を持っていた以上、責められません。もし非ユークリッド幾何学がユークリッドの時代に発見されていたら、哲学の歴史はずいぶん違ったものになったことでしょう。余談ですが、数学の進歩を振り返ってみると、そういうことも起こりえたということは認めねばなりません。非ユークリッド幾何学の基本はかなり簡単な数学的道具立てで作ることができますから、ユークリッドの弟子の中にボヤイがいたと想像することも十分可能です。ヘレニズム時代と後期ローマ時代は、そういう展開が起こるだけの知的バックグラウンドが十分洗練されていた時代でした。周知のように、地動説は既に紀元前280年に考えられていました。幾何学の歴史にはそういう非ユークリッド幾何学の誕生を予感させる記録はないので、私たちにできることは、数学の進歩の遅さを指摘して、そのせいで哲学の進歩も遅れたのだと責任をなすりつけることぐらいです。一方、物理学が発展することで因果性概念の放棄と確率概念の優勢化がおきたのですが、その発展は現代的な実験科学が成長するまでは起こりえないものでした。従って、哲学において措定の体系としての知識という概念へ最終的な移行が起こるためには、哲学者のコントロールできない外部の学問の発展に依存せざるをえなかったのです。

 もっとも、科学の進歩への依存は、知識の概念の合理主義的な誤解を導く唯一の根拠ではありません。科学には多様な側面があり、数学的側面はそのうちの一つに過ぎません。しかも経験主義的な哲学はいつの時代にも存在したということは、科学の経験主義的な側面にも常に注意が払われていたということを示しています。もし哲学者に科学の数学的性質を過大評価して、数学を他の科学が熱望すべき理想の形式とみなす傾向があったのなら、そのような態度は哲学者の心理によって説明すべきものです。事実ここにおいて、哲学を誤謬へ導いた知識概念の誤解の最も根深い根元が見出せるのです。

 数ある哲学体系のリストをつらつら眺めると、こうした体系を作った人々は科学を偏見なく解釈することに重要な関心を抱いていなかったのだという感想を禁じ得ません。哲学者にとっては、科学の分析は常にある目的のための手段でした。哲学者は、別の目的のための入り口として科学を必要としたのです。哲学者は、事前にある目標を抱いて科学の研究に取り組み、科学を自らの研究対象に読み込みました。明らかに、哲学者は科学に対して、絶対確実な知識という観点から解釈を与えてくれる側面だけを見てきました。彼が欲したのは道徳律であり、そのため、倫理-認識の並行論の観点から知識の解釈を与えてくれる科学の側面だけを見ていたのです。合理主義者の解決案を受け入れなかった経験主義者でさえ、合理主義的な目的から自由にはなれませんでした。それゆえ、自らの論理学からバイアスを除こうとした経験主義者は懐疑論者となったのです。知識についての合理主義的な誤解は、論理学を超えた動機から来たものです。それはすなわち、人間の知識に確実性を、人間の行動に道徳律を打ち立てたいという動機でした。哲学者が誤ったのは、その分析が公平さを欠いたからです。哲学者にとって科学は、哲学がそうあってほしいと望むようなモデルではなかったということです。

 では、より良い哲学を作るために、私たちは何ができるでしょう? 誤りを研究することは真理の発見に役立つに違いありません。哲学は科学に依存しているのですから、私たちは仕事をする上でこの依存を自覚的な条件としなければなりません。知識の本性は科学の分析を通してのみ研究できるということを知るべきです。心の構造や存在の本性への洞察から一般的な知識のアウトラインを導くような哲学的知識論のアイデアは、永久に捨て去らねばなりません。存在論は存在しません。科学に先行する独立の哲学的知識の領域などないのです。知識論とは科学の分析です。哲学は知識に対して何ら内容ある貢献をなしません。哲学はただ、科学者の仕事に表現された知識の形式を研究し、妥当性の主張を全て調査するのみです。そうすることによって、哲学者は、彼に努力できる全てのことが自らの時代の知識の哲学なのだということを悟るでしょう。

 知識論は伝統的哲学の主題の半分です。もう半分は価値判断、とりわけ倫理についての判断に関係するテーマです。倫理学の公理は幾何学の公理と同様に哲学者の吟味の対象ではないことは上述したとおりです。論理学によってコントロールされるのは多様な道徳規則の間の含意だけであり、基本となる規則の性質は非認識論的なものです。これは義務であり、それゆえ意志的な決断です。物理学の原理の提示を放棄せねばならなかった哲学者は、倫理的義務の提示を放棄することも厭いません。哲学者の仕事はただ、道徳的行動の論理的に分析することであり、それは認識的行動の分析と比較することができるものです。哲学者は、道徳的行動や異なる意志的な目標を結び付けている関係が持つ含意の重要性を指摘し、ある目標を別の目標に従属させたりするでしょう。そしてまた、意志的目標を秩序ある体系へ結び付けようとする全ての人々に、心理学と社会学の必要性を強調しようとするでしょう。なぜなら、そうした含意は心理学と社会学に含まれる総合的知識に依存しているため、これらの科学の助けなしには様々な意志的な目標の間の含意を提示することはできないからです。そして知識論と同様に、倫理学の分野における哲学者の仕事も、本質的には秩序を構築することにあります。つまり、非常に論争的かつ不可欠な行動の範囲を明確に論理的にコントロールすることです

 今述べたような哲学は、独自の体系の構築というより、どちらかというと分析をその職分とするものです。この哲学像は、過去の諸体系の哲学を賞賛して耽溺する人々には不満足なものに映るかもしれません。哲学の体系は、偉大な文学作品の魔力に匹敵する抗し難い説得力をもっています。哲学的思弁を捨てるということは、哲学を文明において指導的地位たらしめた美と偉大さを捨てることと同義に聞こえるかもしれません。私は、体系の美的価値については論じません。ですが、そのポジティブな側面は、哲学理論には一般的な合意が存在しないという伝統的哲学のネガティブな側面とも分かちがたく結びついているのだという事実には、注意を喚起しておきたく思います。哲学の体系は個人主義的な創造物です。それは芸術作品のようなもので、万人の同意は必要でなく、それが意味を持つ少数の人々による崇拝があればいいのです。真理についての冷静な研究は、そういう芸術作品が持つ魔力を失います。その代わり、普遍的な同意に至る道を舗装し、最終的には論争と攻撃から免れる結果を提示することができるという利点を得ます。それこそが、論理的分析という哲学が進むべき科学の道なのです。ロマンティックな精神の持ち主は魅力を感じないでしょうが、科学的方法の採用は、哲学史を公平に研究した末の必然の結果です。これだけが、20世紀の哲学に開かれている唯一の成功の道なのです。

 しかし私は、この道を歩む努力をした者にも、哲学体系の持つ美的価値に匹敵するだけの経験を得るだろうと考えています。その経験とはすなわち、分析に伴う解明の持つ力の経験です。人が何を意味するか、知識とは何を意味するか、それを知ることは、哲学者にとって価値ある目的です。私たちの仕事がこうした意味の解明に貢献するならば、それが私たち全員の喜びとするところです。総合的真理を発見するのが科学者の仕事であるなら、その真理が何を意味し、それが人類文明の総体のどこに組み込まれるかを示すのは、私たちの仕事です。哲学者は常に教育者としての仕事を引き受けてきました。私たちも、認識と意志をそのあるべき場所に配置し、それで理解されることを明確にし、意識という曖昧な背景で行なわれていることを明確にすることによって、意味を解明する教育者としての仕事を引き受けましょう。思考の解明は、最も洗練された知的歓びの一つです。ただ真理を述べるだけでなく、真理を論理的分析から生まれる明晰さをもって述べること、それこそを、哲学者の崇高な目標としようではありませんか。

訳註
[1] opinion は、ドクサ(doxa)の英訳です。プラトンは『国家』で、知識と臆見(ドクサ)を峻別しました。

[2] ライヘンバッハはこのタイプの倫理学を構築した代表者としてスピノザの名前を挙げています。『科学哲学の生成』(みすず書房, 1954) p.51

[3] 動物的信念という用語は哲学者 G.サンタヤナ(George Santayana, 1863-1952)のものです。サンタヤナは、伝統的な基礎づけ主義による認識論を否定し、動物的信念(すなわち本能)によって認識の成立を説明しようと図りました。

[4] 確率的帰納論理学は不確実さを免れない科学仮説の確からしさ(確率)を観察に基づいて定めることを目的としたもので、ラプラスによって本格的に体系化され、ド・モルガン、ジェヴォンズらによって展開されました。20世紀ではカルナップが技術的に高度な仕事をしており、最近ではベイズ主義との親和性も注目されています。

[5] 無差別の原理とは,確率が一切わからない時の事前確率は,選択肢の間で平等に(=無差別に)分配されるというものです。この原理に従うと、例えば、神の存在について何の情報も持たない人間にとって、神が存在する確率と存在しない確率は、それぞれ 1 / 2 であり、それゆえ神は 1 / 2 の確率で存在するということになります。これは、確率を人間の認識状態に左右される主観的概念を見なす立場が支持する原理です。ライヘンバッハは、このような主観的確率を批判し、客観的な相対頻度に基づく確率論を支持します。参照:『科学哲学の生成』pp.230-32。

 

著:H.ライヘンバッハ 1947
訳:ミック
作成日:2006/07/10
最終更新日:2017/06/22 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
b_entry.gif b_entry.gif