ホームモーリッツ・シュリック

 人類が自らの知識の着実な増加を誇るのは自然なことである。科学の進歩について考えるときに私たちが感じる喜びは、十分に正当化される。色々な問題が科学によって次々と解決されており、過去の成功は、この進歩が未来においても持続し、そのペースは速くなりさえすると期待するのに十分な理由を与えてくれる。しかしこの進歩はいつまでも続くのだろうか? いつまでも続きうるものだろうか? 将来、考えうる限りの全ての問題が解決されてしまい、人間の知性が答えを切望するような問いが一つも残されていない日がやってくる、と想像するのは少しばかばかしい感じがする。私たちは、人間の好奇心は決して完全には満たされず、知識の進歩が最終目標に到達して止まってしまうことがないことを確信している。

 世間では、科学の進歩が永久には続かないことについて、幾つかの絶対的な理由があると信じられている。大概の人は、人間の理性と経験によってはその高さを測ることのできない障壁の存在を信じている。最終的な真理、そして恐らくは最も重要な真理は永久に人間の眼からは隠されていて、宇宙の謎を解く鍵はまさに宇宙の本性によって、死すべき運命の者には近寄りがたい深淵の奥深くに隠されているのだ、と。この一般的な信条によるなら、定式化し、その意味を完全に把握することは可能でありながら、全ての知識の本性と必然的境界を超えるがゆえに答えを知りえない問いが数多く存在することになる。こうした問いに対しては、最終的な無知(Ignorabimus)が宣告される[1]。いわば、自然は自らの最も深い秘密が暴かれることを望んでおらず、神はその秘密が被造物の手に渡らぬよう、知識に限界を設けた。そしてその限界を超えたところでは、信仰が好奇心にとって代わらなくてはならない、というわけである。

 こうした考えがどのようにして生じるのかは簡単に理解できる。しかしなぜこれが特別に敬虔で信心深い態度だと見なされなくてはならないのか、その理由はそれほど明確でない。仮に自然が完全には知りえないものだとして、なぜ私たちにとって自然がより不思議なものでなくてはならないのか? 自然は意図的に何かを隠そうとしているのではない、ということは確実である。なぜなら、自然は何の秘密も持たず、恥ずべき何物も持っていないからである。反対に、世界を知れば知るほど、私たちはそれに驚くことになるだろう。そして仮に、私たちが世界の究極的原理と最も普遍的な法則を知ったならば、不思議さや敬虔さといった感情は全ての境界を越えるだろう。被造物から世界の最も深い構造を隠すような嫉妬深い神を描いてみたところで、何も得られはしない。実際、至高の存在という概念は、もしそれがもっとまともなものなら、飽くなき知識欲が与えられた生物の知識には究極的な境界は設けられてはならない、ということを含意すべきである。絶対的な無知の存在は、哲学的知性にとって極めて厄介な問題を形成する。もしこの悩ましい問題の荷を下ろすことができれば、それは哲学上の大きな前進であろう。

 「そんなことは明らかに不可能だ」と言う人がいるかもしれない。「なぜなら、解答不可能な問いが存在することは疑いないから。」 [確かに、] いかなる人間にも決して答えが分からないと信じるに足る、極めて強力な理由が存在する問いを挙げるのは簡単である。プラトンは彼の50歳の誕生日の午前8時に何をしていたか? 『イリアス』の第一行目を書いたときのホメロスの体重は幾らだったか? 月の裏側で長さ3インチの魚の形をした銀の破片が発見されることはあるだろうか? どれだけ頑張っても、人間がこれらの問いに答えられないことは明白である。しかし同時に、そのために人間が絶対に頑張らないだろうということも、私たちは知っている。「これらの問いには重要性がない」と、誰もが言うだろう。こんな問いを気にする哲学者はいないし、歴史家も自然科学者も、これらの問いに答えが得られるかどうかなど気にしない、と。

 つまり、解決不可能であっても哲学者を悩ませない問題が存在するということである。そして明らかに、そうした問いが問題にならないことには理由がある。この理由が重要である。私たちは確かに、解決不可能な問いがあることを認めなければならない。しかし、そうした問いはどれも、哲学者が本当に真剣な関心を抱くような種類の問いではないことを示せたとしたらどうであろう? もしそれができれば、哲学者は安心するだろう。彼が知ることができないことは多いだろうが、絶対的な無知という本当の重荷からは解放されるかもしれない。一見すると、これを実現する望みはほとんどないように思われる。なぜなら、哲学の最も重要な問題の幾つかは、一般的に解決不可能な問題のクラスに分類されているからである。そこで、この点を慎重に考えてみたい。

 私たちは、ある問題について重要であると言うとき、または、それが哲学者にとって関心のある問題だと言うとき、何を意味しているのか? 大雑把に言えば、それは問題が原理的なものであるということである。すなわち、世界の細部の特徴ではなく、一般的な特徴に触れる問題、個別の事実ではなく世界の構造、すなわち妥当な法則に関わる問題の場合である。この区別は、宇宙の真の本性と、本性が現前するところの偶然の形式との違いとして述べることができる。

 この区別に対応して、与えられた問題が解決不可能であることの理由も全く異なる二つの種類に分類できる。第一の種類は、答えることが原理的に不可能である問いである。この不可能性を論理的不可能性と呼ぶことにしよう。第二の種類は、一般法則に影響を及ぼさない偶然的状況のせいで答えることが不可能な問いである。この場合の不可能性を経験的不可能性と呼ぼう。

 上に挙げた簡単な問いの例は、いずれも答えることが経験的に不可能な種類の問いである。プラトンや彼の友人が、彼の50歳の誕生日における行動を正確に記録しなかった(あるいは記録したが消失してしまった)ことは、単に偶然の問題である。ホメロスや月の裏側の例も同様である。人間が月へ行き、その裏側を探査することは現実的または技術的には不可能である。しかしそれが原理的に不可能だと断言することはできない。月がこんなに遠く、地球に対して常に同じ側を見せているのは、偶然そうであるに過ぎない。月に大気がなく人間がそこで呼吸できないのも、偶然の産物である――しかし、これら全ての状況が異なる様子を想像することはたやすい。不幸にして私たちは、こうした残酷な事実によって月面旅行を実現できないわけだが、しかしそれは、特定の事物を私たちの知識から完全に遮断する原理によって不可能なのではない。たとえある問いが自然法則によって解決不可能だったとしても、問いを解答可能にするためには自然法則がどのように変えられねばならないかを記述することができるなら、その問いの解答不可能性はただ経験的なものであり、論理的なものではない、と言うことができる。要するに、自然法則の存在も、変わりうる経験的な一事実として考えなければならないのである。科学者の関心は、個別的な自然法則に集中している。しかし哲学者の一般的見解は、いかなる個別的な自然法則の妥当性からも独立でなくてはならない。

 私が擁護する哲学の最も重要な内容の一つが、経験的に解答不可能な問いは数多くあれど、論理的に解答不可能であるような本当の問いは一つもない、というものである。論理的不可能性が有するのは、絶対的な無知によって含意される絶望的かつ致命的な性格であり、この問題に直面すると、哲学者は「宇宙の謎」[2]について語り、そうした問題を「それ自体における事物の認識」などと言って投げ出してしまう。それゆえ、私の見解を受け入れれば、重大な問題に関する人間の知識の本質的な不完全性に関して無用の不安を抱いていた哲学者は、大いに安堵するであろう。全てを知ることが経験的に不可能であることについて、理性的に非難することは不可能である。なぜならそれは、全ての場所に同時に生きることができないと文句を言うのと同じことであろうから。誰も全ての事実を知ろうと欲しているのではない。それは重要なことではない。本当に本質的な宇宙の原理は、時と場所を選ばずに現前している。もちろん、そうした原理が一目瞭然の形で転がっている、と言いたいのではない。それらは常に、慎重で鋭い科学の方法によって発見しうるものである。

 この私の見解を証明するにはどうすればよいか? 解答不可能性は決して問いそのものには属さず、決して原理的なものではなく、常に、いつの日か変化しうる偶然の経験的状況によるものである、ということを保証するものは何か? ここで実際に証明を行う余裕はない1。しかし結果を得るための一般的方法を示すことはできる。
 それは、問いの意味を分析することによって行われる。明らかなことだが、哲学的問題というのは――他の分野の問題も大抵はそうだが――理解するのが難しい。私たちは問いによって何が意味されているのか説明を求めなければならない。その説明はどのようにして与えられるか? 私たちは問いの意味をいかにして示すか?

 丁寧に調べれば、問いによって本当は何が意味されているかについての様々な説明の仕方は、究極的には、問いの答えが見つけられなければならない様々な記述の仕方でしかないことが分かる。問いの意味の説明あるいは指示は全て、何らかの仕方で、答えを見つけるための処方(prescription)において存在する。この原理は科学の方法にとって基礎的な重要性を持つことが分かっている。例えば、本人も認めるように、この原理がアインシュタインを相対性理論の発見へと導いた。経験的には、そうした処方(例えば「月の周囲を回れ」)に従うことはできないかもしれないが、しかし論理的に不可能ではありえない。なぜなら、論理的に不可能なものは、そもそも記述することさえ不可能、すなわち、言語や他の伝達手段によって表現不可能だからである。

 この言明の正しさは、「記述」と「表現」という語の分析によって示されるが、ここでは立ち入ることができない。しかしこれを前提として認めるなら、いかなる問いも原理的に――すなわち論理的に――解答不可能ではないことが分かる。なぜなら、問題が論理的に解決不可能ということは、その解決の発見手段を記述することが不可能ということであり、これはすなわち、既に述べたように、問題の意味を指示することが不可能ということだからである。それゆえ、原理的に解答不可能な問いは何の意味も持ちえない。それは全く問いではありえず、最後にクエスチョン・マークを付けただけのナンセンスな語の羅列に過ぎない。問いがないところでは答えることも論理的に不可能なのだから、答えられなくとも驚きや落胆、絶望が起こることなどありえない。

 この結論は、幾つかの実例を考えることでより明確にできる。ホメロスの体重に関する私たちの問いは、もちろん意味を持っている。なぜなら、人間の体(たとえ詩人でも)の体重を量る方法は容易に記述できるのであり、言い換えれば、体重の観念は正確に定義されているからである。おそらくホメロスは一度も体重測定をしたことはないし、現在それを実施することは、彼の体が現存しない以上、経験的には不可能である。しかしこれら偶然の事実が問いの意味を変えることはない。あるいは「死後の生」の問題を取り上げよう。私たちはこの問題を解決できるであろう方法を指示できるのだから、この問題は有意味である。死後の生を確認する方法の一つは、ずばり死んでみることであろう。または、私たちが確定的な答えを受け入れるよう導く、特定の科学的な性格の観察を記述することも可能であろう。現在のところそのような観察はできなそうだというのは経験的事実であって、この問題について絶対的な無知を確定づけるものではありえない。

 さて次は「時間の本性は何か?」という問いを考えよう。これは何を意味するのか? 「~の本性」という言葉は何を表すのか? 多分科学者はある種の説明を考え出し、彼が問いに対する可能な答えとみなす幾つかの言明を提示するかもしれない。だが彼の説明は、提示された答えが正しい答えであることを発見する方法の記述以外のものではありえまい。換言すれば、問いに意味を与えることで、同時に彼は、問いを論理的に――経験的にはなお解答不可能かもしれないが――解答可能なものにしたのである。ところが、そのような説明がなければ、「時間の本性は何か?」という言葉は全く問いではない。もし哲学者がこの手の語の羅列を私たちに突きつけてその意味を説明することを怠ったなら、彼は答えが返ってこないからといって驚くことは許されない。彼はちょうど「哲学の重さは幾らか?」と訊ねたようなものなのだ。この場合なら、これが問いではなく、ただのナンセンスであることは即座に分かる。「我々は絶対者を知りうるか?」とか、その他無数の類似の問いも全て、時間の本性に関する「問題」と同様に扱われなければならない。

 パルメニデスの昔から現代まで議論されてきた全ての重大な哲学的問題は、二つの種類に分類される。一つが、慎重で正確な定義によって確定的な意味を与えられ、それゆえ、科学者に大きな問題をもたらし、また不都合な経験的状況のせいで決して解決できないかもしれないが、しかし原理的には解決可能だと確信できる問題。もう一つが、いかなる意味も与えられないがゆえに全く問いではない種類の問題。どちらの問題も、哲学者を不安に陥れることはない。哲学者の最大の困難は、両者の区別を怠ったことから生じたのである。

原註
1 より完全な説明を望むなら、英語の読者には Publication in Philosophy(1932, パシフィック大学編) における二つの講演と、特に American Philosophical Review 所載の論文「意味と検証」を参照することを勧める。

訳註
[1] Ignorabimus は人間の認識の限界性を表現するスローガンで、1872年ライプツィヒで開催されたドイツ自然研究者医学者大会(GDNÄ)において、デュ・ポワ=レーモンが講演「自然認識の限界について」を締めくくる言葉として述べた言葉「Ignoramus, Ignorabimus(我々は無知である、我々は無知のままであろう)」に由来します。有名な「ラプラスの魔」の喩えを用いて機械論的還元論の原理が批判されたのもこの講演で、この後、賛否両論が飛び交う「イグノラビムス論争」が展開されました。
 科学に対して楽観的な期待を寄せるシュリック(およびウィーン学団の面々)は、もちろん否定派です。またヒルベルトも「我々は知るであろう」と述べて否定派にまわりました。

[2] 前註のレーモンの講演「宇宙の7つの謎」(1880)を念頭に置いた言葉だと思われます。レーモンはこの講演で、物質と力の本性、生命の起源など解決不可能な「宇宙の謎」を列挙しました。

 

著:M.シュリック 1935
訳:ミック
作成日:2004/09/01
最終更新日:2017/06/22 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
この 作品 は クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。
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