ホームウィリアム・モリス

 ロンドンの醜さについてのウィーダ[1]の記事は、ご承知の通り、自らと他の人々の人生に対する真の喜びを多少でも気にかける人々の注意を喚起している。しかしこの主題は非常に広範囲にわたるので、私はまず手始めに、これを狭い範囲に限定したい。すでに繰り返し言われているように、ロンドンは町ではなく、家々に埋め尽くされた国である。さて、ウィーダの目に映るロンドンは、東部のマッチ製造業者や港湾労働者のロンドンでもなければ、西部のレンガ製造業者やガス労働者のロンドンでもない。彼女はフルハムやラティマー通りのような、あるいはベスナル・グリーンの向こうにあるスラム街を考えているのではなく[2]、ブルジョアジー、つまり中流または上流階級(というのも、イギリスには貴族はいないので)の店舗と住居を考えている。そこで、こうしたロンドンの富裕な部分について、少し述べてみたい。

 まず、彼女の批判を否定することは全く不可能である。ブルジョアのロンドンをヴェネツィアやフィレンツェと比較するのが公平さを欠くことは認めよう。両者ともここ数年間で完全に現代化されたが、それでも未だ中世都市であり、過去の諸時代の輝かしい芸術的モニュメントを多く残している。ロンドンと比較するのに相応しい都市は、パリである。パリは、ロンドンのように一揃いの商店のための単なる一時的なアクセサリーではないし、マンチェスターやグラスゴー、バーミンガムのように資本家と機械の野営地でもない。パリは巨大な機構を備えた政治的・社会的・知的な中心地である。確かに、ロンドンがパリに変わって心楽しくならないロンドン市民は少なかろう。何しろ、好ましくない物から離れて、好ましい物へと近づくよう認めることを強制されるわけではないのだから。ここで注意してほしいのだが、パリにある建物は、少数の芸術的モニュメントを除けば、およそ美しいとは言いがたく、むしろ積極的に醜い。パリはもう美しい街ではない。だがロンドンと比べれば快適なところである。パリにはうろつく楽しみがあるが、ロンドンでは、哲学者か愚者でもない限り、楽しい散歩は期待できない。ただ次から次へと商店が移り変わるだけだ。

 確かに、ウィーダの言うように、ロンドンの醜さには何か魂を損なう、意気沮喪させるものがある。他にも、醜くて、野蛮さにおいてはロンドンに引けをとらず猛々しく下品な都市はあるのだが、しかしロンドンほど絶望的にみすぼらしい、救いがたく野蛮な都市は他にない。この「ロンドン特有の悪夢」に悩まされる感覚は、言葉では表現しがたい。「意気沮喪させる(discouraging)」というのが、私に見つけられる一番しっくりくる語である。あるいは、視覚とは別の意味から導かれる類比を使わせてもらっていいだろうか。 つまり、ロンドンには、快適には程遠い、重苦しく有毒な種々の匂いが存在しているのである。ガス労働の廃棄物、穏やかな夏の宵のレンガ工場、怪しげな排水溝から漂うほのかな甘い香り、蒸し暑い夏の朝の木製の舗装道路。こうした種類の匂いは、すぐさま建築検査官に怒りの抗議文を書きたくなる悪臭よりさらに陰鬱である。そしてロンドンの醜悪さの性質は、まさにこのうんざりするたぐいのものなのである。

 実際、ブルジョアのロンドンについてのウィーダの批判は、認めるほかない。私としては、およそ「治療法」と呼べるしろものではないのだが、このみすぼらしい惨状を改善できそうな施策を少しばかり提案しようと思う。まず最初は消極的措置である。もしロンドンの街路を建築学的に改善することが可能であれば、私たちが建築的退廃のどん底に達したときに成立した、あの首都建築法[3]を廃止するのが望ましい。この法律のせいで、現状は、あらゆる種類のみすぼらしい出来そこないの建築が許可され、反対に創発的で美しい部分を省かねばならなかったり、検査官を「買収する」ことを試みなければならない有様だ。次に、出来る限り多くの木々を街路に植えることである。その際、植える木を果樹園の洋ナシのごとく剪定してはならない。街路の木々はほとんど全てアメリカ原産だが、樹木から美しさを十全に引き出すには、自由に成長させなければならない。しかも、これらの街路樹は、生い繁れば生い繁るほど、家々を隠してくれる[4]

 また、スクエア・ガーデンの柵を取り払ってこれを公衆に開放すれば[5]、ブルジョアのロンドンはずっと快適になるであろう。開放された芝生には足を踏み入れてはならないが、パリのようにバスケットに摘んだりするのはかまわない。ロンドンの踏みつけられた芝生が弱々しい成長しかしないのと対照的に、摘んでも全く損失にはならない。そして街路から成長した美しい木々は、間違いなく気品ある景観を作るだろう。

 周知の通り、これらは不十分な一時しのぎ――地獄をなくそうとする決意ではなく、地獄を快適にしようとする試み――である。しかも、スクエア・ガーデンの開放は現状では明らかに不可能である。実際、私がウィーダと見解を異にする唯一の点は、彼女がブルジョアのロンドンを楽しいものにすることは容易であると言うのに対して、私はそれは容易どころか不可能であると言うことである。可能だと期待するのは不合理である。富めるロンドンは、スラム-ロンドン、すなわち貧しきロンドンの産物である。私はロンドンのスラムが他の大都市のスラムより酷いと言うつもりはないが、このスラムも富める地域と一緒になって、ロンドンという名の怪物を作り上げているのである。同時に、ロンドンは、過去の時代の奴隷制にとって代わった商業主義的奴隷制の中心地であり、見本市でもある。当然ながら、この奴隷制から利益を得る者(?)がその結果を最も明白に理解したのは、この都市の中心街においてであった。ロンドン――商業主義の集約を最も完全に成し遂げたこの国の首都。、私には、この都市の病的なまでの醜悪さが、ここに述べてきた改善策が最悪の種類の盗み、すなわち貧者からの合法的窃盗であることを示すべく、この改善策に焼き付けられた不名誉な烙印であるように思われるのだ。


訳註
[1] ウィーダ(Ouida, 1839-1908)はイギリスの小説家マリア・ルイーズ・ド・ラ・ラメー(Maria Louise de la Rameè)のペンネーム。日本では『フランダースの犬』の作者として知られます。

[2] ベスナル・グリーンは19世紀末のロンドンで最も貧しいスラム街の一つでした。切り裂きジャックが出没した地域の一つです。

[3] この法律の内容がどういうものか、まだ調べられていません。情報お持ちの方ご一報ください。

[4] 「アメリカ原産の樹木」とは、恐らくプラタナスやマロニエの仲間を指しているのでしょう。どちらも公害に強いため、19世紀後半のヨーロッパの都市で多く植栽されました。

[5] 18世紀から19世紀初頭にかけて、ロンドンでは次々に新しい広場が建設され、古くからあった広場も改良を加えられました。広場中央には噴水や人工池が設けられ、衛生・治安を維持するために広場全体が門や柵で囲われ、部外者の侵入を拒否しようとする傾向が強まりました。こうした広場の8割が、ウェスト・エンド、すなわち富裕層の住む高級住宅街(モリスの言う「ブルジョアのロンドン」)に集中しています。(参考:蛭川久康・櫻庭信之他編著『ロンドン事典』(大修館書店 2002) p.732)

 

著:W.モリス 1888
訳:ミック
作成日:2005/09/27
最終更新日:2017/06/22 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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