『論理哲学論考 ウィトゲンシュタイン全集1巻』
奥雅博(訳), 1975。ウィトゲンシュタインの存命中に唯一刊行された著作。初出は1921年。彼の前期哲学を代表する主著です。「まじめな哲学者なら誰一人この著作を無視できない」というラッセルの書評の通り、この本は20世紀哲学の古典となり、孤峰ともなりました。
他の収録テキスト:草稿1914-1916/論理形式について
『哲学的考察 ウィトゲンシュタイン全集 2巻』
奥雅博(訳), 1978。1929-30、41歳のときのテクストです。ケンブリッジでの奨学金を継続してもらうために、1930年4月24日までの手稿をまとめたものがこの『哲学的考察』です。中期哲学のキーワードである「文法」の概念が登場します。
『哲学的文法-1 ウィトゲンシュタイン全集 3巻』
山本信(訳), 1975。1932-34。『哲学的文法』は、中期哲学の総決算であり、後期哲学に直接結びつくものです。第1部は、「命題、命題の意味」と題されています。
『哲学的文法-2 ウィトゲンシュタイン全集 4巻』
坂井英寿(訳), 1976。1932-34。『哲学的文法』第2部は「論理と数学について」と題されています。
ウィトゲンシュタインとウィーン学団 ウィトゲンシュタイン全集 5巻
黒崎宏、松下隆英(訳), 1976。1929-32。ウィトゲンシュタインとウィーン学団との対話の記録です。当時ウィトゲンシュタインは『論考』によって自分の仕事は完結したと信じていましたが、次第に前期の論理的原子論の立場を放棄するようになる過程が分かります。また、後期の主要な関心事となる数学の哲学について、独自の議論が開始されます。
『青色本・茶色本 ウィトゲンシュタイン全集 6巻』
大森荘蔵、松下隆英(訳), 1975。1933-34(青色本)、1934-35(茶色本)。ウィトゲンシュタインの後期哲学は、『青色本』から始まります。なぜなら、語の意味についての新しい考え(使用説)が、この著作において初めて現れるからです。また『青色本』は講義を口述筆記したものなので、アフォリズムではなく普通の文章で書かれており、入門書としても最適です。
『茶色本』では、有名な「言語ゲーム」の概念が本格的に解説されます。
他の収録テキスト:個人的経験」および「感覚与件」について/フレーザー『金枝篇』について/『マインド』編集者への書簡
『数学の基礎 ウィトゲンシュタイン全集 7巻』
中村秀吉、藤田晋吾(訳), 1976。1937-44。
『哲学探究 ウィトゲンシュタイン全集 8巻』
藤本隆志(訳), 1976。1936-45。後期を代表するテキストで、第I部と第II部から成ります。『論考』に比べれば、まだとりつくしまがあるのですが、見た目の明快さと裏腹に読めば読むほど迷い込むでしょう。
翻訳に難があるので、今から買われるのであれば、黒崎宏『哲学的探求読解』を薦めます。
『確実性の問題・断片 ウィトゲンシュタイン全集 9巻』
黒田亘、菅豊彦(訳), 1975。1945-49(断片)、1949-51(確実性の問題)。『断片』は主に『探究』の422節から第I部の最後までと、『心理学の哲学』の第1巻と第2巻からの抜粋によって成り立っています。『確実性』はアメリカでのマルコムとムーアとの議論を契機に書き始められ、死の直前まで続けられたテキストです。『探究』第II部では心理的概念が問題にされていましたが、『確実性』では一転して外的な事実を「知る」とはどのようなことかが論じられます。
『講義集 ウィトゲンシュタイン全集 10巻』
藤本隆志(訳), 1977。1930-33。ケンブリッジでの講義を聴講したムーアが、後に整理しなおしたものです。講義のときにとったノートそのものではありません。
『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記―1930‐1932/1936‐1937』
鬼界彰夫(訳), 2005。死後42年たって新発見された日記です。「真の信仰を希求する魂の記録!」だそうですが、正直、散文的な性格の私にはよくわかりませんでした。
『論理哲学論考』
野矢茂樹(訳), 岩波書店 2003。ついに『論考』が岩波文庫に入る時代が来ましたか。
『論理哲学論考』
藤本隆志、坂井秀寿(訳), 法政大学出版局 1968。日本で最初に翻訳された『論考』。『哲学探究』の抄訳と小伝も収録されています。古いという点はさておくとして、非常に格調高い日本語訳です。
『ウィトゲンシュタイン―言語の限界』
飯田隆, 1997。バランスが取れていて、最初に読む入門書として良いでしょう。講談社から出ているシリーズものの一つで、手に入りやすいはずです。
ウィトゲンシュタインはこう考えた―哲学的思考の全軌跡1912‐1951 (講談社現代新書)
鬼界彰夫, 2003。文献学のお手本のような細密さで遺稿を読み込む力作で、解説も丁寧な良書です。二番目に読むとよいでしょう。私見ですが、最初に読むのは避けた方がいいと思います。無味乾燥に感じるでしょう。
『ウィトゲンシュタイン小事典』
山本信・黒崎宏編, 1999。用語や生涯についてのリファレンスとしても、もちろん充実していますが、パラパラとめくっているだけでも楽しい。ウィトゲンシュタインがお気に入りだった映画女優の写真を載せて「何か彼の好みがわかるような気がする」などと真面目なコメントを付けてくれるのはこの本だけです。
『ウィトゲンシュタイン読本』
飯田隆編, 1995。日本のウィトゲンシュタイン研究の状況報告。「最新の研究成果」と呼ぶにはちょっと刊行年が古いですが、執筆陣の質は高いです。石黒ひで、戸田山和久、野矢茂樹、奥雅博など、日本を代表する分析哲学の研究者たちが寄稿しています。
『ウィトゲンシュタインのウィーン』
S・トゥールミン、A・ジャニク, 2001。初出は1978年。文脈的・歴史的アプローチの名著。分析哲学の文脈で捉えられることの多かったウィトゲンシュタインの哲学を、19世紀末ウィーンという歴史的文脈に位置付けた傑作です。
この本は、個人的にも思い入れがあります。哲学専攻でもなかった私が、初めて「ウィトゲンシュタイン」の名を知った本だからです。
『無限論の教室』
野矢茂樹, 1998。ウィトゲンシュタインの数学の哲学について知りたい人向け。「可能無限派・ゴミ系」ことタジマ先生による無限集合論入門です。この本、数学畑からは頗る評判が悪いですが、私は良い本だと思います。しかし読む際は以下の条項を必ず守ってください。
一、この本を読み終えただけで「私はゲーデルの不完全性定理を理解した」と言わないこと。
二、「ゲーデルの不完全性定理は全ての論理が不完全であることを示した」と言わないこと。
『論理哲学論考』を読む
野矢茂樹, 2002。『論考』の解説本というのが(邦語文献に関する限り)そもそも少ないのですが、この本は出色の出来です。語りは平明で初心者の人にも安心して薦められます。ただ、論理空間を可能無限的に解釈することで「『論考』でも多重量化は扱える」という主張など、後半は独自の主張が多いので、もう一つオーソドックスな解説書、例えば『言語哲学大全 II巻』などと併せて読むと効果的でしょう。
『ウィトゲンシュタインのパラドックス―規則・私的言語・他人の心』
ソール・クリプキ, 1983。分析哲学の鬼才クリプキによるユニークなウィトゲンシュタイン解釈で知られる本です。
現在では、クリプキのウィトゲンシュタイン解釈は間違っている、という見方が定着しましたが、それでもなお刺激的な解釈であるため「クリプケンシュタイン」という言葉まで生まれたほどです。特別な分析哲学の知識がなくても読めます。
『ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出』
ノーマン・マルコム, 1998。初出は1974年。読み物としては文句なし最高。
『ウィトゲンシュタイン 天才の責務』
レイ・モンク, 1994。大部だし高いし(2巻で1万! もっとも、けっこう古本屋でみかけます)、お金と暇に余裕がないと買えません。しかし、マルコムの伝記に劣らず感動的な本です。
『ウィトゲンシュタイン評伝』
ブライアン・マクギネス, 1994。全2巻のうち1巻のみ既刊。モンクの伝記と対照的に、厳密に史料を扱っています。その分読みづらいのですが、第1次大戦前後のウィトゲンシュタインの生活の記述は正確を極めます。
『Tractatus Logico-Philosophicus』
Ludwig Wittgenstein, 1922。英語のみですが、『論考』の原文を読めます。1ページにまとめてくれているのがありがたい。
『Tractatus Logico-Philosophicus』
Ludwig Wittgenstein, 1922。一方ちゃんと英独対訳なのがこのページ。しかしページ数が非常に多い。