ロシアの画家 ワシリー・カンディンスキー (Wasily Kandinsky, 1866-1944)についてのサイトです。
カンディンスキーの著作
- 『芸術における精神的なもの』(1912) (独)
130ページ足らずのこの小冊子によって、抽象絵画は初めてその美術理論を与えられました。初版は1912年1月、同年に第2版と第3版が出版されました(全3版)。
- 「形態の問題」(1912) (独)
1912年にカンディンスキーとフランツ・マルクによって編集された『青騎士』誌に寄稿されたもの。同年に先に刊行された『芸術における精神的なもの』をさらに推し進めた論文。
- 「形態の基本的要素」(1923) (独) (和)
バウハウス出版部刊行の『バウハウス1919-1923』で発表されたもの。カンディンスキーは、1922年にバウハウスに教授として招聘されて以来、教育に携わっていました。バウハウスの目標にカンディンスキーがどのように対処したかが述べられています。
- 「飾りのない壁」(1929) (独) (和)
1929年4月1日、エルンスト・カライ編の『クンストナール』誌に掲載された論文。この論文でカンディンスキーは、バウハウスで静かに流行した一つの傾向について述べ、それに歓迎の意を表します。
- 「質疑応答」(1935) (独) (和)
テネリファの『ガセタ・デ・アルテ』誌の編集者エドアルド・ヴェスターダールが行なった質問とそれへの回答。
- 「計算」(1935) (独) (和)
ルツェルン美術館が開いた「テーゼ-アンチテーゼ-ジンテーゼ」という展覧会の目録に掲載された文章。「自動的に芸術を作り出すことができる」という世間の考え方に対する反論が行なわれています。
- 「線と魚」(1935) (独) (和)
ロンドンの『アクシス』誌1935年第2号に掲載された論文。線と魚の持つ類似性と相違点に着目することで抽象絵画の特質を説明するユニークな小論。
- 「ニーレンドルフのカンディンスキー会見記」(1937) (独) (和)
アメリカでカンディンスキーの作品の取次ぎをしていた美術商のカール・ニーレンドルフが行なったインタビュー。
- 「具体芸術」(1938) (独) (和)
1938年にパリで創刊された『20世紀』誌の創刊号に掲載された論文。ヴァン・ドースブルク、アルプ、ビルらは既に「具体芸術」の概念を採用していましたが、カンディンスキーは、この論文で初めて自分の芸術にその名を採用しました。
- 「抽象か具体か?」(1938) (独) (和)
アムステルダムで開かれた抽象芸術美術展のカタログに寄せられた文章。
- 「あらゆる精神的時代」(1942)(独) (和)
チューリッヒのアリアンツ社から刊行された『十人集(10 origin)』という版画集の序文。カンディンスキーが公表した理論的文章のうち最後のものに当たります。